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八幡神社

支部名 福井支部
神社名 八幡神社
境内社名
旧社格 村社
郵便番号
鎮座地 福井県福井市上中町28-17
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典
宮司 豊島稜威夫
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 譽田別尊
素盞嗚尊
健御名方命

由 緒

 創立の年代は詳かでない。
『神社明細帳』に「吉田郡上中村第28号17番地字堂ノ森、村社八幡神社、祭神譽田別尊、由緒不詳。吉田郡上中村第43号32番地字東渡り、無格社諏訪神社、祭神建御名方命、由緒不詳。吉田郡上中村第42号2番地字東天王、無格社氷川神社、祭神素盞嗚尊、由緒不詳。」と記してある。
 八幡神社について、「朝倉孝景公が、文明3年(1471)に守護権を掌握して着々と越前を平定し、朝倉家統治の時代を迎えた頃、この地に朝倉家の家臣、中村左馬助・中村六郎左衛門・中村左京、中村彦次郎等、中村一族が居住したことから”中村”という地名が誕生し、中村字堂ノ森に八幡社を勧請した」と伝えている。
諏訪神社について、越前国城蹟考は「上中村ノ内 安丸垣内(字東渡り)に40間計4方、当時諏訪大明神社有り」と記し、亦、白山神社の祭礼の「児流鏑馬」(大永4年”1524”6月の平泉寺文書)の神事の費用を朝倉孝景公が、下司中村左京亮利久に命じて出資奉納されたことから厩の神として建御名方命を祀ったと言われている。
中村の追分地区は、文政年間(1818-30)に”糸右エ門”が草分けとなり開かれた処である。
原目寄りの南西の外れの小高い所の字東天王に簸川社が奉斎されていた。
 明治35年に諏訪社と簸川社とが八幡神社に合祀された。
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