| 支部名 | 南越支部 |
|---|---|
| 神社名 | 白山神社 |
| 境内社名 | 御霊宮 |
| 旧社格 | 指定村社 |
| 郵便番号 | |
| 鎮座地 | 福井県越前市瓜生町38ー10-1 |
| 電話番号 | |
| FAX番号 | |
| 御神徳 | |
| 主な祭典 | |
| 宮司 | 大澤恵女 |
| URL | (なし) |
| (なし) | |
| 特記事項 | |
| 御祭神 | 伊弉册尊 菊理姫命 大穴牟遲命 大市媛命 住吉三前 大山咋命 |

由 緒
瓜生の集落は、男大迹皇子の御治水までは、西は日野川に面し北と東は一帯の沼地であったので、住民の多くは漁業と水運業を営んでいた。日野川は当時南越地方で唯一の交通並びに運輸機関として舟の往来が繁くあった。そこで水上交通の守護神住吉三前を勧請し、集落の氏神として尊崇した。その後男大迹皇子の御治水の後、白鬼女地域の開拓によって、集落は純農村に転換した。越国の国造の後裔である大市媛命が墾田領主として当地へ封された。命の数代の内には総高九百石が完成して、住民は等しく待望の農業に転換することを得た。聖武天皇の御代神亀元年(724)加賀の本宮白山より水害予防の守護神として菊理姫命を勧請し、天神伊弉册尊地衹大穴牟遲命を併せ祀り、集落の東北を選んで社殿を造営した。爾来千三百年の間、ある時は瓜生保一族の氏神として尊崇を集め、社領五千石にも達して社僧の意気天を衝いた時もあれば、斯波高経の攻撃を受けて、社殿・宝物・縁起等を烏有に帰した時もある。僧泰澄自作の十一面観音並びに聖観音阿彌陀の三佛像を当社に納めて白山三所大権現と称し尊崇した。その尊像だけはいささかも損傷する所なく灰燼中に残存したという。