由 緒
創立年代不詳。『明治神社志料』に「当社の旧記に延喜式神名帳に所載の敦賀郡信貴彦神社是也。」とあり、『足羽社記』に「信露貴川新羅山麓より出づ、延喜式敦賀郡信露貴彦神社是なり。」と記してある。
『越前国名磧考』に「当社は、往古 燧山の山頂に鎮座していたが寿永二年(1183)に源儀仲が、是に城郭を築こうとして、傍に小社を建てて遷座した。其の後、越前国を鎮定して、社殿を再建し深く崇敬した」と記し、更に「天文年中(1532~1555)に郷民が協議して、当今の社地に神殿を新築して、茲に、神璽を遷座して以来、今に至るまで氏神として敬い奉斎している。」と記している。
元和年中(1615~1624)に社殿を修築した。寛永四年(1627)に福井藩主松平忠昌公によって改築したが、正保二年(1645)に炎上したのを貞享二年(1685)に再度建築された。
明治四年に福井藩によって、字梅ヶ枝に鎮座の白鬚神社へ合祀し、当社の社号で近郷十七ヶ村の郷社に列せられた。しかし、同八年五月に敦賀県によって村社に列せられた際に、氏子一同が協議して元の社地に遷座申し上げた。明治十三年二月四日に郷社に列せられた。
同四十三年四月二十五日に字梅ヶ枝に鎮座の秋葉神社(祭神・大己貴命)。字愛宕山に鎮座の愛宕神社(祭神・火産霊神)。同年五月十四日に山中村字宮ノ下に鎮座の日吉神社(祭神・大山咋命)の三社を本殿に合祀した。
大正元年八月二十六日に神饌幣帛料を供進する神社に指定された。