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金刀比羅山宮

支部名 丹生支部
神社名 金刀比羅山宮
境内社名 神明社、天満宮、恵比寿社、祖霊社
旧社格 村社
郵便番号 916-0273
鎮座地 福井県丹生郡越前町小曽原91-1
電話番号 0778-32-2038
FAX番号 0778-32-3285
御神徳
主な祭典 例 祭  7月10日
特殊神事 提灯相撲
宮司 高原正舟
URL http://www.金刀比羅山宮.jp/
e-mail (なし)
特記事項 神 紋  丸に金
境内地  51,156㎡
主要建物 本殿木造瓦葺神殿造
     拝殿木造瓦葺堂社造
崇敬者  5,000人
御祭神 金刀比羅大神、白峰大神、猿田彦大神、大國主大神、事代主大神

由 緒

社伝によれば、古来出雲地方で氏神として祀られていた大國主大神、事代主大神が故あって当地方に奉遷され、海岸に険しく突き出た山並を別け入った処、此の地を鎮座に相応しい処と定め社が草創されたのが起こりであると言われる。一舟乘安命が(生年不詳)延宝三年歿(1675)此の山を霊山幡ケ山と呼んだ事が伝えられている。
以来九代に亘り護持されたが千七百年代になり、享保十六年(1731)百年来の大雪、享保十七年(1732)飢饉が発生し、天災、疫病、兵害に加えて過酷なまでに行われる弾圧を受る庶民の苦境はあたかも生地獄の如くであったと伝えられる。心を痛め深く庶民の暮らしを思い時の宮守高原正信大人命は諸国の修験地を巡り祈りを捧げる苦難の道に身を投じたと言われる。
天文元年(1736)7月讃岐国金刀比羅宮に詣でた夜、神の啓示を受けた事から数多く讃岐詣を行ない、御社殿を建立し御分霊を勧請し安永二年(1772)合祀し金比羅神社として氏戸区域を持たない社としての存立を果したのである。
当社では高原正信大人命以前を区別して古社の時代と言うが、大國主大神をお祀りする古社に御同一神である金比羅大神(大物主大神)が人々を苦境から救い新たな力をお示し下さるとして広まり近隣からの信仰を受ける事になった。
海上守護神であるところの大神の御神徳を慕う越前町、越廼村、河野村の北前船の船主や漁業、海運に携わる人々を中心に護持された。沿岸には海難事故に遭遇した時、霊山幡ケ山の方に向かい手を合せ祈りを捧げたところ御神光の如くが出現し、それに導びかれ帰還する事ができたという御神徳を称える伝説が多く残されている。また江戸時代後期北海道開発にあたって建造された大野丸(大野藩)には当社の御分霊が守護神として祀られた為大野郡から乗組員が二晩泊りで参拝を続けた事もあった。
古社の存立以来当山宮は、いつの時代にあっても参拝者の心の拠所としての形態を守り執権者の保護を受けない大衆の信仰の社として護持されている。
かつて当山宮では数度の御造営が行われたが、昭和37年山頂への自動車道の開設をみた事、駐車場の整備、参集殿の建築が参拝者に、より大きな利便を与える事となった。
昭和六十四年より「昭和・平成の御造営」が進められ従来の本殿・拝殿という建築様式が本殿、祝詞殿、内拝殿、拝殿、外拝殿という甍を連ねる御社殿となった。
「提灯相撲」倹約令の公布により、武生市安養寺村にあった陣屋の代官から、楽しみ事は夜間行えとの通達があったが、奥深い山中での神賑わいであるので、夜を模して行うは可なりとの粋なはからいによって、人情味あふれる裁きが出て、境内で直径二米余の大提灯、小提灯の数々を吊って行ったことから提灯相撲と呼ばれた。
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