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太田神社

支部名 南越支部
神社名 太田神社
境内社名 天神社
旧社格 指定村社
郵便番号
鎮座地 福井県越前市上太田町29-4
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典 お獅子廻り神事
宮司 宮川 脩
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 大山咋命
大年神
神武天皇

由 緒

社伝によると、当社は、旧織田街道阪本に鎮座し、太田郷の総鎮守として尊崇篤く隆昌を極めたという。
天正年間織田信長の兵乱に罹り現鎮座地「宮の越」に遷座した。大正12年10月6日現拝殿竣工す。昭和49年10月6日に本殿竣工の50年と拝殿竣工の10年との臨時大祭を執行す。同記念事業として新興庫建立竣工す。
旧殿の棟札によれば「山王神社一宇、文政二年卯月九月吉日祀官宮川左内喜左」とある。昭和43年天神社修繕にかかる祭祀を奉祀した。
明治40年頃に日吉神社を太田神社と改称した。「太田神社」の名は、太田の地に鎮まり給い、太田の地を守護し給う神の社という意で地名(上太田区下太田区太田新保区)から称したものである。
然して、「太田」の地名の起源は、奈良時代の第48代 称徳天皇の天平神護岩塩の大嘗祭の主基田の斎田が(天皇陛下が御即位式の後、天神地衹を祭られ新穀を聞こしめされる儀式に捧げられる新穀を採取する田地を斎田といい、都より東の地を悠紀田、西の地を主基田と定められた)、この地に卜定された。その卜定された斎田を「大御田」と称え、呼び慣わしたところから生じたと云われている。
現在も小字の地名に「別相田=別斎田」「大水口」などが残っており、斎田=大御田の在った場所が、凡そ想定される。また、斎田の用水は、吉野瀬川から引いたと思われる。
この用水は、現在、村落の中を流れているが、天正年中の兵火に村落が焼かれるまでは、「坂本」地籍附近にあったとも云われている。
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