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伊射奈伎神社

支部名 大飯郡支部
神社名 伊射奈伎神社
境内社名 八幡神社、稲荷神社、山神社
旧社格 郷社
郵便番号
鎮座地 福井県大飯郡おおい町福谷48-7
電話番号
FAX番号
御神徳
主な祭典 豊年祭
宮司 上原 徹
URL (なし)
e-mail (なし)
特記事項
御祭神 伊邪那岐命
管朝臣美知實命
大山衹尊
熊野大神

由 緒

創立年代不詳。元亀年間(1570~73)の兵戈に依り消失の難を受け由来不詳となった。社伝に「延喜式神名帳記載の伊射奈伎神社は当社なり」という。延宝3年(1675)の『由緒書上扣』に「福祥山隆興寺天満天神、時代由緒不レ知、山林竹木祝屋敷御赦免、一七ケ村の大社にて御座候 祝」と、亦、文永2年(1265)の『惣田数帳』に「福谷宮七反 佐分郷」とあり、神田七反歩を保有していた。当時三基の大鳥居があった。即ち、一の鳥居は、本郷の野尻に(現在は、田の中に埋没している。本社から東へ約9キロメートル)二の鳥居は、佐分利の石山に(現在 直径 約2米の大磯石6個が、本社から南東へ約2180米の所にある。)三の鳥居は、社前にあって、境内には、本殿、拝殿、神庫、社務所、手水舎等々整い、偉観を呈していたという。
正保2年(1645)に小浜藩主酒井忠勝公が祈願の事があって社殿を補修し、寛政11年(1799)に酒井忠貫公(小浜藩主九代)が、社殿を改修したと棟札に記している。元文2年(1737)に小浜の谷唯圭らによって始められた若狭三郡の天満宮25社参りの1社で、学問芸術の神として尊崇されていた。
大正15年2月12日郷社に列格、3月に神饌幣帛供進の神社に指定された。
なお、明治16年3月22日に「天神社」を「伊射奈伎神社」と改称した。
秋の臨時大祭に「豊年祭」がある。これは豊年に限って、福谷区の氏子が「神代舞」を石山区が「獅子舞」を奉納、久保、安川、小車田、佐畑の各区の順に「神楽、獅子舞」が奉納される。
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